歴史ミステリー小説「東毛奇談」

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歴史ミステリー小説「東毛奇談」第6章 12

「だから、尊皇・討幕を唱える官軍側にとっても、東毛の地が犯し難い土地であることは否定できまい。つまり全国のどこを探してもこのような場所はないんです。徳川側にとっては幕府に協力要請を出来て、官軍側に暴かれる心配のない場所はここしかないんです」
「だけど幕府の御用金がこの地に運び込まれたと知れ渡ればどうにもならないのでは、いくら神聖な場所でも……」
「いやそれだけではないんです。官軍側にとって、この高山彦九郎がいかに尊崇されていたのかが分かれば、ここがいかに安全地帯であったか理解できると思います」
「重要なのは、官軍側に高山彦九郎がどれほど崇拝されていたかだな」弦さんが質問を呈した。
「そうですね。まず彦九郎の交友関係です。まず学友として『日本外史』の著者である頼山陽の父春水、水戸徳川家の指導者である藤田東湖の父幽谷、薩摩藩士赤坂禎幹や水戸学派など多くいます。それに公家との付き合いもあり、岩倉具視の祖先である具選、伏原宣篠、西洞院信庸など公家だけでも二十家以上あった。また反幕派の公家の密命を受け、薩摩藩主の島津斉宣に会いに行くほど信頼されていた。それではここで幕末の志士がいかに高山彦九郎を尊崇していたかを見てもらいましょう」といってコピーされた紙を弦さんと琴音に渡した。

『新田 太田史帖』正田喜久著より抜粋

『江戸幕府が倒れたのは、彦九郎死後七十五年の明治元年であるが、討幕運動をすすめた討幕派の志士に彦九郎の思想と行動は大きな影響を与えた。長州藩出身で自邸内に松下村塾を開き、多くの尊王攘夷運動指導者を教育した吉田松陰(一八三〇~一八五九)は嘉永五年(一八五二)十二月に、東北旅行の途中水戸で「高山正之伝」を読み、彦九郎のことを知ったという。安政二年(一八五五)、松陰は宇都宮黙霖に、彦九郎の事跡を知らなかったことをはずかしいことであったと手紙に書いているほか、安政五年の「児玉士常の九国、四国に遊ぶを送る序」の中で、彦九郎の墓を掃して祭ることが必要であるとか、翌年六月入江杉蔵宛の手紙に、彦九郎は大切の人で、神碑を設ける必要であると記しているなど、彦九郎を尊敬している。また安政二年十二月十五日までの一年二ヵ月間、松陰は萩の野山獄に繋がれていたが、この間多くの書物を読んでいる。その中に頼山陽の「高山彦九郎伝」や塩谷宕陰の「高山正之伝」もあり、彦九郎の事跡を学んでいたことがわかる。
吉田松陰の門下生で、討幕運動の志士高杉晋作は志士たちがよく詠ったといわれる「人は武士、気前は高山彦九郎、京の三条の橋の上、軒は傾き壁は落ち、是が一尺一万乗の君のまします御所なるか、草莽の臣高山彦九郎、慷慨悲憤の至り、遥かに皇居を伏し拝み、落ちる涙は加茂の水」のさのさ節を作詞したといわれている。この高杉晋作が、万延元年(一八六〇)九月十三日に細谷村の高山氏の墓を訪れ、そこで一片の詩を詠んだことが日記「東行先生遺文」に書かれている。
また高杉晋作と並んで松下村塾の双璧であった久坂玄端は、中岡慎太郎と文久二年十二月二十三日に彦九郎の墓を訪れている。久坂玄端は、この時の様子を日記に、彦九郎の墓は仮埋ではっきりしない。管理すべき親戚筋のものが祭祀を怠っていることや、高山家を継ぐ者の家の跡さえも無くなっていると記している。
また文久二年、西郷隆盛は沖永良部島の獄舎に幽閉中であったが、彦九郎の忠義心をたたえる詩を作っている。
偶 成
天歩艱難繋獄身、誠心豈莫慙忠臣、遥追事跡高山子 自養精神不咎人
(自分は天運が悪くて牢屋につながれる身となったが、自分の忠誠の心はどうして真の忠臣たるに愧じない事が出来ようか。此の点心もとなく思われるので、遥かに昔の忠臣高山彦九郎先生の事跡を追い慕って、自分で自分の精神を養い、決して人を咎めような事のないようにと心懸けて居る─『西郷南州先生詩集』)。さらに西郷隆盛は、明治四年十一月に菊池容斉の「題高山先生遇山賊図」に、「辛末仲冬南州敬題」として「精忠純孝冠群倫、豪傑風姿画難真、小盗胆驚何足怪 回天創業是斯人」の詩を賛している。これは天明八年一月二十九日の暁方から京都の大火を心配した彦九郎が、京都に向かう途中の木曽の山中で四人の山賊に出会ったが、彦九郎は目をいからして大声で叱りとばしてさっさと通り過ぎたとの伝承を絵にしたのに、西郷隆盛が彦九郎を讃える詩を付けた。この詩は高山先生はまじりけのない忠義孝行を兼ね備えた多くの偉い人々の中で、最も優れた豪傑であられた。豪傑の姿かたちをそっくりそのまま画に描き出すことはなかなか出来難いものであるが、小盗人が先生の威光に圧せられ、この画を見るようにひどく驚きおそれ、色を失い胆をつぶした事に何の不思議があろう。天子様に忠勤をささげて幕府を討ち滅ぼし、日本の天地を昔の正しい姿に挽き回す大きな仕事を思い立ち、やり始めたそもそもの発頭人は、実はこの先生だ。というものである。
このほか、福岡藩の西国尊攘派の盟主平野国臣が、彦九郎終焉の地の墓前に石灯籠を寄進して崇敬しているように、多くの志士たちが彦九郎の墓前に額ずいている。……』

「吉田松陰、高杉晋作、中岡慎太郎、西郷隆盛……まさに幕末のスター勢揃いじゃない」
「そうでしょう。そんな幕末の志士たちに先生、英雄と崇められたとなれば、その生誕地は神聖な場所となるはずです」
「よし、それじゃー、徳川御用金隠しの件に戻るぞ。幕府側と官軍側の首脳陣との間で話は着いているから、中立地帯として東毛の地が選ばれた。これは両者の首脳陣による秘密工作であり、彼らの手元に金を残す工作なので、味方といえども隠さねばならない。政情が不安定なときでもあり、官軍の中でも派閥争いはある。新田伝承のある寺院を官軍側といえども勝手に掘り返したり、高山彦九郎ゆかりの地に勝手に押し入るのも憚れる雰囲気があるだろう。これは重要なんだ。何の伝承もない場所に御用金を埋めてしまえば、官軍側でも幕府側の者でも簡単に荒らされるだろう。金に目の眩んだ奴らには、神社も寺も関係ない。躊躇なく暴きだすであろう。幕府側首脳部にとって必要なのは、力技で攻めてくる官軍に対抗できるのは精神面である。新田や高山彦九郎という名前のもつ神秘性だ。あそこは崇拝する尊皇・新田一族を祀る場所だからむやみに詮索できない、となるだろう。ただね、実際にはそれだけでは御用金は守り切れないから、勝海舟は官軍側の協力者を得たと思うんだぜ」

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